東京高等裁判所 昭和59年(ラ)61号 決定 1984年6月07日
抗告人 神奈川朝鮮信用組合
相手方 飯岡操 外二名
主文
本件抗告を棄却する。
理由
一 (抗告の趣旨・理由)
本件抗告の趣旨は「原決定を取り消す。相手方らの本件申立を却下する。」との決定を求める、というものであり、抗告の理由は別紙記載のとおりである。
二 (当裁判所の判断)
1 相手方らの本件提出命令申立の趣旨及び理由の要旨は、原決定理由説示中のこの点に関する記載部分(原決定一枚目裏八行目から二枚目表一〇行目まで)と同じ(ただし、原決定一枚目裏末行の「記されている。」を「記されているところ、相手方らの本訴請求の要旨は、訴外亡李鐘憲が所有していた」と、二枚目表一行目から二行目にかけての「いるところ、」を「いるが、」と、七行目の「なされたのであるから、」を「なされたことを主張し、」と、八行目の「求めることができるものである。」を「求めるものであつて、」と、九行目の「右の点」を「右弁済」と、それぞれ改める。)であるから、これをここに引用する。なお、相手方らと抗告人間の頭書記載の本案事件において、相手方らは、右提出命令申立理由中のそれと同様の主張をし、抗告人は、訴外亡李鐘憲との間で原決定添付物件目録記載の土地・建物について同添付登記目録記載の各登記原因に合致する契約をした旨を主張し、相手方らが主張する右土地・建物(以下「本件不動産」という。)の売買及び被担保債権の弁済を争つていること、抗告人が原判決添付文書目録記載の文書(以下「本件文書」という。)を作成し、現にこれを所持していることは、いずれも本件記録上明らかである。
2 しかるところ、当裁判所も、本件文書は、前記本案事件における当事者双方の主張との関係において、民訴法三一二条三号後段所定のいわゆる法律関係文書に該当する、と判断するものであつて、その理由は以下のとおりである。すなわち、民訴法三一二条三号後段にいう挙証者と所持者との法律関係につき作成された文書(以下「法律関係文書」という。)とは、挙証者と所持者との法律関係それ自体ないしはそれに関連ある事項を記載した文書、又は当該法律関係を構成する要件事実が記載された文書を指すものと解すべきである。ところで、金融機関の作成する貸付元帳は、取引の相手方ごとに、貸付及び弁済の状況をその都度、発生順に記帳することにより、取引の経過、貸付金債権の額の変遷等を明らかならしめるための会計帳簿である。してみると、訴外亡李鐘憲との取引につき作成された貸付元帳である本件文書は、同人ないしその相続人との関係において右の法律関係文書に該当するものであり、さらにそれは、訴外亡李鐘憲の相続人から本件不動産を買受けた相手方らとの関係においても法律関係文書にあたるとみるのが相当である。けだし、本件文書は、相手方らの所有にかかる本件不動産につき設定された根抵当権ないし仮登記担保権の被担保債権の存否及びその金額を明らかにするものであり、右根抵当権、仮登記担保権の存否という相手方らと抗告人間の法律関係それ自体又はそれに関連する事項の記載がある文書といい得るからである。もつとも、抗告人が相手方らの本件不動産所有権の取得を争つていることは前記のとおりであるが、そのことは、本件提出命令の必要性を判断するための事由とはなり得ても、本案事件における当事者の主張との関係において、本件文書が法律関係文書に該当する旨の右判断を左右する根拠とはなり得ないものというべきである。
3 そして、前記説示にかかる貸付元帳の記載内容、作成目的等からすれば、また中小企業等協同組合法四〇条、四〇条の二の趣旨(貸付元帳は四〇条の二所定の会計帳簿に該当し、四〇条所定の決算関係書類作成の用に供されるものと解される。)など関係法令に照らし考えれば、本件文書が純然たる自己使用のための内部文書にすぎないとはとうてい認めがたいばかりでなく、これに加えてさらに、公正な裁判の実現という民事訴訟の制度目的に照らして審按すれば、抗告人が主張する信用組合の金融業務の特殊性を考慮にいれてもなお、民訴法二八一条一項三号の規定を類推適用して提出の拒絶を正当化し得るほどの守秘義務が、本件文書について、抗告人に課せられているとも解しがたい。また、本件不動産の所有権取得に関する相手方らの主張を前提とすれば、訴外亡李鐘憲の相続人である徐日鮮は相手方らに対し前記被担保債権の存否、金額を秘匿できる立場にはないのであるから、同人の反対は、本件文書の提出を拒絶する事由となり得ないものといわねばならない。
4 なお、本件抗告理由中には、相手方らによる本件不動産所有権の取得を争う点を含め、本件提出命令の必要性の不存在を主張する趣旨の部分があるものと解されるが、右必要性ありとする受訴裁判所の判断に対し抗告をもつて不服を申立てることは許されないものというべきである。
三 (結論)
以上の次第で本件抗告理由はいずれも採用できず、本件抗告は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 後藤静思 奥平守男 尾方滋)
抗告理由
一、原決定は、
(1) 「民事訴訟法第三一二条三号後段に規定する文書とは、挙証者と文書の所持者との法律関係それ自体又はこれを構成する事実の全部若しくは一部を明らかにすることを予定して作成された文書であると解されるから、文書が、被告と訴外亡李鐘憲との間で、右の法律関係文書であると言い得ることは疑いなく」
としている。
そして、(被告である)抗告人が、「これらの文書は、もっぱら被告内部の使用に供するために作成されたものであるから、法律関係文書に該らない」と主張したことに対して、
原決定は、「たしかに、一応法律関係文書とみなすことができる文書であつても、それが、日記、備忘録のごとく、全く自己使用のための内部的文書である場合には、文書提出命令の制度の趣旨を推究して、結局民事訴訟法第三一二条三号に規定する文書に該当しないとするのを相当とすべきであるが、前述したところから、本件の場合がこれに該ると言えないことは明らかである」としている。
(2) しかし、
原決定が述べるように、法律関係文書に該ることは「疑いなく」、明々白々であろうか。
当代理人は偶然にも、全く同種の事件につき、近時関与したものであるが、それには、反対に、
「法律関係文書に該当しないことは明らかである」としている(東京高等裁判所昭和五八年(ラ)第四六六号、第一一民事部担当)。
従つて、
抗告人の主張するように、法律関係文書に該当しないことは、明らかであると思われるが、反対に原決定の立場のように、積極的に該当することが、「疑いなく」とは、言い切れないはずである。
(3) そもそも、法律関係文書とは、「その法律関係を訴訟前に所持者と挙証者の間に存する実体的法律関係と解し、当該法律関係それ自体ないしは関連ある事項を記載した文書、または構成要件事実が記載されている文書」であるとされている(弘文堂、講座民事訴訟法5証拠二七三頁)。
そして、仮に右のような法律関係文書であつても、「自己使用のための内部文書」については、提出義務を否定しているのが実務の先例とされる(同頁)。
本件は、右のような伝統的、支配的考えからすれば、法律関係文書に該当しないものであり、又、一歩譲つて、何等かの意味で該当するとしても、少くとも「自己使用のための内部的文書」であることは、明らかであると考えられる。
(4) この問題をめぐる最近の判例の動向について、詳細な分析がなされている(判例時報九九二号一四七頁)。
先ず、一般的傾向として、「最近の判例は、否定説の方が肯定説を上回るようである」とされている。
ところで、肯定された判例の事案をみると、国、又は地方公共団体に対する訴訟、所謂公害訴訟等公的色合の強いもの、及び労働争議等、いわば、弱者保護の理に親しみ易いケースであり、何ずれも、原被告の当事者的地位、立場に格差があり、その実質的平等、対等を図れない場合である。
ところが、本件では、全く、私法的取引場面であり、右のように、事件の性質上、内在的に救済しなければならない、との先行判断が生ずる場合でない。
殊に、本件では、原告である相手方等は、債権整理と関連し、債権者委員会が管理していた、いわば、係争物件の譲り受けた者等であり、火中に飛び込んだものであり、この見地からも、前述の先行判断を生ずるものでない。
(5) 却つて、
本件は、否定した判決例に、多くの示唆を受けるものである。
すなわち、
否定説の判例の理由を検討してみると、(仮に、法律関係文書であつても)、「自己使用のための内部的文書」であるとするものであり、弁論主義、当事者主義を採る我が民事訴訟法の構図より、充分、説得力のある結論である(前掲判例時報一五〇頁以下)。
実際、原決定のように解すると、それは、三一二条が公法上の義務を限定的に列挙しているのに拘らず、実質的に一般義務化し、現行法の立場を逸脱するとの批判を受けることになる。
そもそも、
原決定の立場だと、いかなる文書も、すべて法律関係文書であるとの結論に達すると思われるが、この解釈は三一二条がその一号、二号、三号前段と分けて規定していることを無視する結果になると思われる。
二、次に、抗告人は(右の主張が認められないとしても)、
(1) 「銀行等公的金融機関は一般的に守秘義務を負つているから、抗告人である被告においても同様であり、提出を強いられるいわれはない」と主張した。
これに対して、
原決定は「被告はまた守秘義務を言うが、銀行法第一二条の三、商法第二九三条の六、中小企業等協同組合法第四〇条の二等の規定の趣旨に依つてみれば、民事訴訟法第二八一条等の規定を類推して、文書の提出を拒むのを止むを得ないとすべき程の守秘義務が被告に課せられているものとは到底いえない。」
と判断している。
(2) しかし、この判断の理由は、ズサンである。
先ず、銀行法第一二条の三を掲げるが、かかる条文は存しない。
次に、商法第二九三条の六は、株主の帳簿の閲覧権を規定したものであるが、抗告人たる被告は、所謂、中間的法人であつて、商人でなく、商法の理念が親しまず、同法の適用を受けないものである。
又、本件における相手方たる原告は(後述のとおり)第三者であつて、株主に比すべき被告組合に出資等して、直接の利害関係をもつているものでない。
(仮に、何等かの理由でもつて、右主張が認められないとしても)、銀行法第二三条では、右商法の適用を排除しているのであるから、銀行法と商法とを同列に論じ、その趣旨を援用するのは、矛盾している。
最後に、中小企業等四〇条の二は、組合員の帳簿閲覧権を規定したものであるが、本件の相手方たる原告は、組合員でもない。更に、商法及び中小企業等の法律は、会計の帳簿であつて、本件のような帳簿まで含むかどうか、疑問のあるとこである。
従つて、
原決定が、「条文の趣旨に依れば、」と述べているが、以上のとおり、全く、根拠になし得ないこと明らかである。
(3) そもそも、銀行等、公的金融機関に課せられている「守秘義務」又は、「銀行の秘密」は、信用を基調とする金融機関の存続発展の前提要件であり、また、みだりにその経済状態、特に預金の内容を他人に知られたくない顧客の当然の要求でもある。
殊に、信用組合は、組合員のためのものであり、より閉鎖的、限定的であり、この見地からも、その必要性は高いものである。
銀行の秘密保持は、単なる道徳的義務でなくて、法的義務である。その根拠は、銀行と顧客との間の契約関係が医師と患者または弁護士と依頼人との間のそれに類する信任関係に基づくものであり、債権法の要請する信義則の適用に求められる。しかも、それは、業界において多年商慣習として行なわれて来たものである。
勿論、
申立人も、右は絶対的なものであることを主張するものでないが、少くとも、本件においては、申立人である被告組合と取引があつた申立外徐日鮮が強く反対していることの他、以下述べる事実関係よりして、提出を拒むに足りる守秘義務を負つており、原決定は断じて、認められるべきでない。
(4) 事実関係について、
原決定は、「原告らは、別紙物件目録記載の各物件を訴外亡李鐘憲の相続人(徐日鮮)から買受けたと主張し、被告と訴外亡李鐘憲との間の信用組合取引に基づく被告の債権を担保するために、別紙物件目録記載の土地及び建物につき、別紙登記目録記載の各設定契約、代物弁済予約がなされたことは被告が自ら主張するところであるから、自己の所有する不動産の上に設定された抵当権又は根抵当権が担保する債権の有無及びその額の変遷を明らかにするものとして、原告らにとつても直接の利害を有することであり、」
としている。
しかし、右は、事実の経緯を表面的、形式的に述べたにすぎない。
右李鐘憲の死後、その相続人たる徐日鮮は、故人の事業を引き継いだが、倒産し、徐日鮮は債権者の追求を逃れて、夜逃し、又、その所有する物件目録記載の各物件は一部の債権者委員の管理するところとなり、その結果、相手方たる原告等に、右委員の手により売り渡されたものである。
これに対し、徐日鮮は、売買無効の本訴を提起したものである(横浜地方裁判所昭和五四年(ワ)第八〇三号)。
かかる実質的な事実経緯を顧みるならば、原決定の述べるように、李鐘憲、その相続人たる徐日鮮と原告等は、地位の承継はなく、全く、両者は同一視し得ないものである。
却つて、
徐日鮮と原告等とは利害が反している。
又、原告等は、係争に介入したものとして、むしろ、保護されるべきものは何もないものである。買受けの際も、被担保債権が弁済によつて消滅したと確認手続をふんで、買つたものでもない。
現在も、徐日鮮に対し、債権の追求中であることを考え合わせるならば、提出命令に従い、開示することを強く反対するのは、当然である。けだし、貸付元帳は、貸付及び弁済の他、金員の出入をその発生順に記帳し、取引の経過を明らかにしているから、これにより更に、債権者の追求を受ける等、そのトラブルが徐日鮮のみならず、その関係者に及ぶことは必至であり、これは、正に、銀行の秘密が求められた以外の何物でもないのである。
(5) 判例は、この義務の存在が提出を拒む理由に該るとされる。この義務の例として、税務署員に課せられた守秘義務、医師の負担する患者の秘密、等があるとされる(判例時報九九五号一四〇頁以下)。
本件は、
前述のとおり、法的義務であり、その内容性質からして、「提出を拒むのに足りる程の守秘義務」である。
若し、
原決定の解するように、申立人が負担する銀行秘密が、原決定の主張するように、「提出を拒むのに止むを得ないとすべき程の守秘義務でない」とするならば、その与える社会的影響は限りなく大きいものである。第三者は顧客の意思を無視して、何等かの利害を持てば、認められることになるからである。
因みに、
本案手続において、相手方である原告等は自ずから甲一〇号証を提出している。
これは、原告等が被告に対し、昭和五二年一〇月二一日弁済により消滅したとの主張の後日である昭和五三年三月三一日に作成されたものであり、その内容の真正を証するため、各頁に前述徐日鮮の押印と、最後の頁に署名押印がなされている。
これによれば、徐日鮮は、抗告人である被告の債権は証書借入の二、九五〇万円であり、弁済により消滅していないとしているのであり、又、この書証を提出した原告等も同様である。